人は足を踏まれても怒りを感じない
人というのは結局のところ、
自分という存在を軽視されたり、雑に扱われたときに、怒りや憎しみを感じるのだと思う。
例えば人に足を踏まれたとき、踏まれたことに対して怒りを感じるのではない。足を踏んで謝られなかったとき、はじめて怒りを感じるのだ。
誰かが発信した意見に対してアドバイスや意見をするとき、まずは褒めて肯定してから、その後に自分の意見やアドバイスをするというテクニックがある。
これはつまり、最初から意見をいってしまうと相手は自分という存在を否定されていると感じてしまい、嫌な気持ちになるため素直に意見を聞くことができない。
先に肯定し、まずは相手に対して敬意を持っていることを明示することで、相手は素直に意見を聞くことができる。
この人を軽視してはいけない、雑に扱ってはいけないというのを、我々はマナーだったりモラルだったり、言葉を言い換えて言っているだけである。
例えば電車での電話やカップルがイチャイチャしているのを見てイラッとするのは、まさにこれである。
自分という存在を全く気にせずそこだけの世界に入る、これが許せないのだ。
これに気がつくと、いかに人に対して敬意を示すことが大事なのかがわかる。
人に敬意を示す、相手を雑に扱わない、これを意識するだけで今より少しは生きやすい世界になるかもしれない。